忍足侑士、15の初夏





オレは、跡部と二人で歩いていた。
何か話しかけようかとも思ったのだが、いい話題が思いつかない上に、いつになく無言で小難しい顔をしている跡部には声を掛け辛くて。
オレはそんな跡部の斜め後ろ45°の位置から、ちらちらと彼を盗み見ながら歩いていた。

「・・・・・・忍足、」

そんな折、跡部が前を向いたまま、不意にオレを呼んだ。

「なんや?」

跡部は立ち止まると、オレを振り返る。
そして少し逡巡した後に、まじめな顔で聞いてきた。

「好きなものを見つける事と、心底嫌いなものを見つける事とは・・・どちらがより難しいと思う?」

オレは急な質問に、咄嗟に答えを返すことが出来ずに口ごもる。
跡部はオレを見つめながら、再び口を開いた。

「あれは、オレがまだガキだったときだ・・・」

そして跡部は、オレに語り出した。




  。*.・。・.*.。*・+.・。*.*・。.+.・*・+.・*・.。.



オレがまだ幼かった時、オレには嫌いだと言えるものが山ほどあった。

ベタなところで食べ物から挙げていくと、ピーマン、ニンジン、ネギ、大根、セロリ、カリフラワー、ブロッコリー、ナス、グリーンピース・・・
取り敢えず今思いつく限りで、野菜だけでこれくらいは出てくる。肉では内臓系や脂身が駄目だった。これらは齧った瞬間、吐き出したくなった。調味料関係においては、ほとんどのヤツらが好きであろうマヨネーズが食えなかった。辛いものも苦手で、ワサビ・カラシ・唐辛子なんてものも、出来るなら口にしたくなかった。
しかしある日、オレは思い直した。
オレは跡部景吾だ。
跡部景吾に苦手なものなどあってはならない、と。
オレは完璧な大人に成長しなくてはならないのだからと。そう自分を奮起させ、オレはそれらの克服を試みた。
それは思った以上に容易いことだった。
先程列挙した食べ物など、どれも食べようと思えば食べられないことは無いものばかりだった。食わず嫌いというのが大半だったのだ。カリフラワーやブロッコリーなどは、あのふさふさした外観が不気味だから食べなかっただけだったのだしな。






「――― ソレなんだ、忍足、」

「え?! ・・・何が、”ソレ”なん・・?」

跡部はそこで一息つき、改めてオレをひたと見据えた。どきりとした。蒼い双眸がオレを射抜く。
オレはその真っ直ぐな視線に、少々気後れした。オレには、跡部が何を伝えようとしているのかがさっぱり解からなかったからだ。

「要するにだな・・・ ”好きだ” ”嫌いだ”と容易く判断出来るものは、その判断を変えることなく保ち続けていられるものなど、ほとんど無いだろう、ってことだ」

好きなものは、いつまでも好きでいられるわけじゃない。
嫌いなものも、何かの拍子で好きに変わるかも知れない。

「・・・ああ、確かに、そうかも知れんなぁ」

跡部の言葉に頷きながら、オレも考えてみた。
殊に”好き”だと云っているものに関しては、熱し易く冷め易いと云われるオレの性格上、自分内のブームが過ぎてしまえばそれっきりだろうと。
”嫌い”に分類されるまでに落ちることはないだろうけれど、好きでもなく嫌いでもない・・・ようは関心の対象外に廻される事請け合いだ。

「・・・でもオレは、跡部のこと一生好きやって誓えるで」

「ふーん、そうか」


そして跡部は、また話し始めた。




  。*.・。・.*.。*・+.・。*.*・。.+.・*・+.・*・.。.



食えないことはないが、やっぱり不味いな。
コックに特別に作ってもらった”苦手克服野菜サラダ”を咀嚼しつつ、幼いオレは思考をめぐらせていた。
そもそも、今自分で”好きだ” ”嫌いだ”というものが、自分の生活・・大きく見れば人生に、どれだけの影響を及ぼすものであるだろうかと。例外もあるのだろうが・・・ピーマン食えないくらいで人生お終いになるだろうか?セロリが嫌いだと生きられないだろうか?そんな事は無いだろう。
つまりは、オレが好き嫌いを軽く口に出来るもののレベルは、所詮その程度のものなのだと、そう感じた。
オレは跡部景吾だから、苦手は克服しなくちゃならないけれど。他のヤツなら別に、大人になるまでピーマン食えなくても構いやしないのだろう。
 ――― そうだ。
セロリスティックを齧りながら、オレは気が付いた。
本当に、その存在自体を憎らしく、この世から抹消してしまいたいと思うほどに忌み嫌っているものの存在は、おいそれと口に出来るものじゃないと。
オレはセロリスティックを齧りながら、苦々しく顔を歪めた。
”アレ”に関しては、”嫌い”と一言で片付けてしまうには、オレの中で燻っている嫌悪の情は表現し切れないものがあるのだ。
けれど、他に表すべき言葉も知らないから、オレはこう表現するけれど。






「――― オレは、アレが嫌いだ」

顔を顰めて、心底憎々しげに呟く跡部は、本当に”アレ”というものが嫌いなのだと知れた。
しかし、やはり跡部の話はよく解からなかった。
それにしても。あの跡部景吾に、苦手なものがあるなんて。そしてそのことを、他でもないオレに話してくれるなんて。
オレは胸が熱くなるのをかんじた。

「・・・食いもんは全部食えたんやろ?食いもん以外で、一体何がダメなん?」

聞くと、跡部はぴくりと肩を震わせた。
跡部が再び口を開く。




  。*.・。・.*.。*・+.・。*.*・。.+.・*・+.・*・.。.



オレはセロリスティックをぎりぎりと齧りながら、アレを思い起こしていた。
 オレは、アレが嫌いだ。
 大っ嫌いだ。
アレがこの世に存在しなければ、オレはもっと楽に、日常を送れたはずだ。そう思った。
季節の移り変わり・・緑鮮やかな命の季節といわれる夏に、こんなに一人鬱々と過ごすことも無かったはずだと。
街路樹の木陰の元、歩道を歩くときには身を縮め、吹く風にざわめく緑に人知れず恐怖し、草叢の気配に神経を過敏にさせる。こんな神経質になることも無かった筈なのだと。
まだテニスに出会っていなかったオレは、夏という季節が大嫌いだった。暑いということもあるが、暑さの所為だけじゃない。躍動する命に、一抹の煩わしさを感じていた。途端に活動をはじめる命の―― その量の多さに、圧倒されていた。
夏になると、オレは寝つきが悪くなった。身体は疲れていても、フル活動する脳みそは一向にオレを眠らせてはくれなかった。
ベッドに入って、目を瞑る。そうすると、途端映し出される映像があったのだ。
それは見るのも嫌で、存在を気にしつつも目を逸らし続けてきた存在。でも何かの拍子で見てしまった、そのほんの一瞬視線を流しただけの、それだけの対象物だというのに。ソレは消える事無く記憶に残って、何かのはずみで思い出してしまうと・・・オレはもう、何日も何日も、ソレから意識を移せなくなってしまうのだった。
オレは考えた。嫌いなものほど、どうして目に付くのだろうと。
オレなりの解釈では、
 ”嫌い”だから、寄ってくれるな、触ってくれるな。こっらから近付こうなんて微塵も思っちゃいねぇから、テメェも干渉するんじゃねぇ、
と。そんな風に、あっちを牽制しつつ、あっちと十分な距離が開いていることに安堵したいがためなのだろう。
それほどまでに、嫌なのだ――― 本当に・・!






「――― 喰われちまえばいい・・・鳥にでも全部、喰われちまえばいいんだよッ!」

急にそう大声を出すと、跡部は足早に歩き出した。
オレは驚きながらも、跡部の後を追う。

「跡部ッ! ちょお、待ちや・・ッ!」

跡部が向かう先に大きな温室が見えてきた。
氷帝学園には敷地内に数ヶ所、植物園がある。そしてそここそが、オレたち二人が、向かおうとしていた所だった。

「跡部ッ!」

再び呼ぶと、跡部はぴたりと足を止めた。ゆっくりと振り返る。オレははっとした。
跡部の顔は、これまで見たこともないくらい青褪めていたのだ。

「・・・忍足。オレの家には、薔薇園があるんだ・・」

それは、跡部の母親が跡部家に嫁いできた時に造られたものであるらしい。天気の良い日は時々、その中に建てられた小さな屋根付きのスペースでお茶会をするのだそうだ。
跡部は薔薇の花が好きだが、その薔薇園へは近づきたくないと言う。
そこへ向かう小道には、カラタチの木が植えられているからだと。




  。*.・。・.*.。*・+.・。*.*・。.+.・*・+.・*・.。.



薔薇園へ向かいながら、幼いオレは必死に、吐き気と眩暈を堪えていた。
母親が海外から帰ってきたその日は、とても天気がよくて。久し振りにみんなでお茶会をしようということになった。あの、薔薇園で。
母たちは先に行ってしまったため、オレは一人で向かうことになった。オレはじっと足元に目線を落とし、のろのろと歩いた。しかし意識は道の両端に植えられた木々に引き付けられて、全神経がそこに居るだろう存在に向かっていた。
風の音が五月蝿い日だった。台風の名残の強風だろうか。植えられた木々の葉が、風に煽られてばたばたと鳴っている。近くで芝を刈る、芝刈り機の騒音がする。そして庭師たちの話し声。それらの音ばかりで、オレの耳はいっぱいになってしまってもいいはずなのに。
新たに伸びた黄緑色の若い葉の、その先にべったりと張り付いている、ヤツの。そいつがもぞもぞと見苦しく胴体をくねらせるその音だけは。本能のままに若葉を貪り喰らう、むしゃむしゃという微かなその音だけは。聞こえるはずも無いその音だけは、他の何をも超えて、自分の耳には届いてしまうような気がした。
『景吾さん?早くいらっしゃいな』
いつまで経っても来ないオレを心配したのか、母親が迎えに来ていた。呼ばれて、オレははっと顔を上げた。そして、その瞬間。
オレは見たくも無いものを見る羽目になってしまった。

 どうして、そこに居るのだ?
 駆除の対象となる存在であることを自覚して、大人しく葉の影にでも隠れて居ればいいものを!
 わざわざ此処でなくとも、他に生きていく場所なんて山ほどあるだろうに!

・・・などと、奴等に説き伏せても無駄なことは解っているが。オレは思わずにはいられなかった。

 醜悪なその幼齢の姿は晒さずに、成虫の美しい姿となった時だけ、表に顔を出せばいいものを!
 そうすれば、もっと愛だけを得られる存在で居られただろうに!

オレは動けなかった。指一つ、動かすことが出来なかった。ましてや足なんて地に付いたきり、数センチもその場から動かせなかった。母が心配そうにオレを覗き込んできたが、それに言葉を返すことも出来なかった。
オレは思わず口元を抑えた。ヤツと、自分は今、同じ空間の空気を吸っている、そう考えると、呼吸なんてしたくも無かった。
 最悪だ。
ちらりと見てしまっただけなのに、その色、葉に対する大きさの比較、奴等が何齢の時期にあるのか、それまでも解ってしまった。
 最悪だ。
頭の中が、淡い緑色でいっぱいになっていく。
ヤツを見たほんの一瞬、その一瞬に、ヤツと目があった気がした。冷静に考えると有り得ないことなのだが。それにヤツの表皮において眼のように見えるアレは、眼状紋と呼ばれる所謂天敵対策の模様だとも、幼いながらもオレは知っていたのだが。
 でも、絶対、目が合った気がした!
只救いとなるのは、ヤツがまだ幼いということか。でも、小さかろうが大きかろうが形は一緒だろうが!
 ヤツがそこに!オレの、ほんの3メートル左にいる!
おかしくなりそうだった。気持ちが悪くて、悪過ぎて。情けなくも幼いオレの目には涙が滲んだ。

 怖い。嫌だ。逃げたい。
 消えちまえ。

オレは近くにいた庭師から水撒きのホースを奪い取った。そして驚く母親や庭師をよそに、放水設定を確認する。設定は”ストレート”。威力は十分だ。
オレはレバーを握って、ソイツ目掛けて――― 放水した。

・・・見はしなかったが。
オレの頭の中では、水圧に押されながらも”食い物”にしがみ付き・・・けれど勢いに負けて、ばたばだと数多の短く太い脚を蠢かせながらソコから転げ落ちるヤツの姿が・・・最悪に嫌なイメージとして展開されていた。

その夜、オレは眠れなかった。






「・・・・・・跡部」

長い話を終えた跡部は、俯いて、何かに耐えるようにじっと地面をみていた。身体が小刻みに震えているのは、気のせいではないだろう。
オレは跡部の手を、自分の両手でそっと包み込んだ。

「・・・おしたり、」

ゆるゆると顔を上げてオレを見つめる跡部の目は、心なしか潤んでいるように感じた。
幼い跡部は、よほど怖い思いをしたのだろう。今思い出すことも辛いほど。それを思うと、胸が痛む。何か言おうとする跡部を、オレは首をゆっくりと横にふることで遮った。
何も言わなくてもいい、解かっているから。
オレは跡部を安堵させるよう、柔らかく笑んだ。

「これから跡部の分は、オレが代わりにやったるから、ええよ」

薔薇園の水遣り当番。

「おしたり・・ッ!」

オレの発言に、跡部は感極まったようにオレの名を呼んだ。
オレは胸に飛び込んできた跡部を抱きしめ、いい匂いのする髪を優しく撫でつけた。


跡部の幸せこそが、オレの幸せなんだと思った――― 忍足侑士、15の初夏。











その後。
そのエピソードを聞いた岳人の発言: 「お前、だまされてるよ」






氷帝学園では薔薇園の水遣り当番があります、という自分設定のもとに。

”アレ”が嫌いなのは私です。
”アレ”というのは、蝶(特にアゲハ)の幼虫のことです。
みかけると、もう、ぶるぶるします・・!恐怖に!

050218



<<