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『内緒やで 誰にも おかんにも 言うたらあかんよ』 耳元で囁かれた艶のこもる声。 真っ赤に塗られた唇がいたずらに楽しく形取られた。 リビドー それは幼い頃、忍足が父親が仕事について行ったときのことだ。 忍足の父と母は、彼が物心ついたときから仲が悪かった。 とはいっても、何かにつけて母親が一方的に父を責め立てていたのであったが。 母は非常に嫉妬深い人間で、父の行動一つ一つに目を光らせた。その根底に父への愛というものが存在していたのか、それとも母の“妻”としてのプライドが過剰な猜疑心を引き起こしていたのかは分からない。しかし帰宅が遅くなれば浮気かと疑り、癇癪を起こして父に当り散らしては幼い忍足に泣きついて同情を求める――― そんな有様だった。 父は穏やかな性格の人で、随分根気よく母をなだめていたのだが、それでも信用しない母を次第に倦厭するようになっていく。そして仕舞いには母の着せた濡れ衣を事実にして、仕事と称しては外で鬱憤を晴らすようになっていった。 暴力に訴えないだけ立派とも我慢強いとも思えるのだが、そんな父を母はますます責め立てる。だから父もいっそう女遊びに精を出すようになる。絵に描いたほどに見事な悪循環というやつだ。 そんな両親の不仲に、忍足自身も否応なく巻き込まれていた。 ある日。 外での仕事があると言って外出しようとした父を母が当然の如く引き止めた。それでも行こうとする父に、どうしても出かけるのであったら連れて行けと、息子の忍足を同行させたのだった。息子の目があるところでは、父も不埒な真似は出来まいと踏んでのことだったのだろう。 果たして。 忍足が父と向かった先は、地元でも有名な純和風の料亭であった。奥座敷には部屋もあり、宿泊もできるようになっている。 案内されて個室に入ると、仕事の相手と思われる男性が先に来て軽く一杯やっていた。 この後、本当に仕事の話であったのか、それとも母の憶測が当たっていたのか、早々に席を外した忍足には分からなかった。しかし、例え浮気であっても母に事実を話す気は無かった。 勝手にすればいい。 両親にはほとほと嫌気がさしていたのだ。 一人で建物内を散策していると、ついと戸が開いて着物を着た女が姿を現した。 女はオレを見ると僅かに驚いた顔をして、『なんでこんな所にガキがおるん』と、あからさまに訝しむ目で忍足を見た。 しかし、女は何かを思い付いたようにすぐにこやかな顔を作ると、忍足を自分の居る部屋へと手招いたのだった。 『内緒やで』 と、女は言った。 女の正体は駆け出しのゲイシャだった。 女は『面白いこと教えたる』と言い、何事かと事態がつかめないでいる忍足を誘った。 『ガキのくせに、ガキらしくない疲れた顔しとるなぁ』 女は呆れた口調の中にも楽しさをにじませて、嫌なことは全部忘れられるのだという、大人の真似事をしようと囁いた。 その“ガキ”を相手に何を言っているんだと思ったが、忍足はされるがままにしていた。女は自分からいそいそと服を乱す。 忍足はそんな女を心中で軽蔑していた。 しかしこの道徳や常識を知らぬ下品な女――― これが、忍足が童貞をくれた女だ。 女の詳しくを覚えているわけではない。 顔はそれなりに美しかったとは思うがはっきりとはしない。ただ手のひらを押し返す白く柔らかい肌と、挿入した先に感じたとろけるような快楽は極上であった。 しかしそれ以上にはっきりと記憶しているのは、忍足の体に絡み付けられた形の良い脚である。 動く忍足の腰を逃がすまいと、もっと奥へ叩き込んでくれとねだるように、長い脚で忍足をしっかりと捕まえた。 わき腹に、体位を変えた時には首に押し付けられる、太股のふわふわとした感触、 イク瞬間にぴんと伸びて痙攣するフォルムの美しさ、 閉めきった薄闇の中に浮かぶ肌の白さ、 それらが、忍足にとって初めてのリビドーを強烈に起こさせた。 忍足が内腿を撫でると、女は嬌声を惜しみなくあげた。忍足には、それが理性の無い獣の咆哮のように聞こえた。 しかしまだ“無邪気”な子供であった忍足は、それが楽しくてしょうがなかった。まるで押すと音を発する玩具、それに喜ぶ赤子に戻ったような感覚であった。忍足は女を突き上げ、脚を撫でながら、咆哮を発する女の口元を見ていた。真っ赤な唇に食われそうで、少しだけ恐ろしく感じた。 女の頬には小さなホクロがあった。 ぱくぱくと忙しなく呼吸と奇声を繰り返す女の口に反して、ホクロは静として動かずにいる、その対照的な様を面白く思っていた。 『内緒やで?』 女は何度も念をおすように言った。忍足は『わかった』と、快楽に溶けてしまいそうな意識の中で頷いた。 部屋に戻ると、父は酒を飲み交わしているところで、先ほどの女と似たような着物を着た女が酌をしていた。父は『遅かったなぁ』と言い忍足につまみを取り分けて食べさせた。 その後、あの女に会うことはもう無かった。 しかし忘れ得ぬ体験である。 美しく長い脚、 静止するホクロ、 秘密・・・ 初めての強烈な快感と共に、それらは忍足の意識に強く焼き付いたのだった。 。*.・。・.*.。 ――― フロイドは云う リビドーは一度満足を味わえば容易に諦めることは敵わない、その体験に固執するようになるのだ、と。 。*.・。・.*.。 今、 忍足は情事に疲れて眠ってしまった愛しい恋人を見つめ、さらさらとした髪を優しく撫でつける。 跡部景吾は小さくうなって寝返りを打つと、暖を求めているのか、傍らで同じように横になる忍足の胸元に擦り寄ってきた。 「景吾・・・」 頬にかかる金糸をどけると、露になった目元のほくろに口付ける。 「お前の身体はほんまに、オレの理想そのまんまやね・・・」 忍足は満足げに微笑んだ。 |
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リビドー(libido):性的衝動 060304 |