届かぬ思い






  もうお前に触れることすら叶わない




跡部の頬に忍足が手を添える。
氷のように冷たいなどと、映画かドラマでみた、よくある感想が沸き起こった。
マネキンのように硬質ではないが、触れた頬には忍足が記憶しているあの柔らかな弾力は残ってはいなかった。それでもさらさらとした頬を、忍足は撫で続けた。熱伝導によって温まる彼の頬に、嘗てのぬくもりを見出そうというか、それはこの上なく虚しい行為だった。

忍足は疑り深い性格で、ヒトの話は聞くとしても己の目で見て確認したこと以外は容易に受け入れようとはしないタチであった。
だから跡部のことを聞いた時も信じられずに、そして、ずっと信じずにいた。
しかしもう疑いようのない事実が此処に在った。

「跡部」

いらえはない。
もう片方の手を口元に近付けて呼吸を確認するが、当然とでもいうべきか、空気の流れは感じられない。既に、温かさなど跡部のどこにも残ってはいなかった。

「・・・景吾?」

視線の下、跡部は、ただひたすらに沈黙していた。
跡部へと一心に視線を注ぎながら、忍足はあることを思い出した。それは、ずっと昔にテレビで見たことだ。
なんでも、ヒトは死ぬときにその体重が少し軽くなるらしい。
最期に吐き出される呼気の重さを計算しても、少しだけ足りないのだという。
テレビではそれを魂の重さなのだと言っていた。嘘臭いことこの上ないと鼻で笑っていたが、何故か印象深く、忘れられずに憶えていたのだった。

忍足は両手で跡部の頬を包み込んだ。
神や仏、あの世やこの世、霊魂やら幽霊やら――― そんなものは、もちろん今だって信じてはいない。しかし今、確かに言えることがある。
この整い過ぎた入れ物の中には愛しい彼の精神は入っていないということ・・・それは疑りようのない事実だということだった。
精神・・・それを一般に魂と呼ぶのだったら、それはそれで構わない。ヒトの最期とは精神の肉体からの離脱を意味し、魂が肉体から離れ出ることでもって死と名付けるのであったら、別に昔のテレビ番組を信じてもいいと思う。
忍足にとって問題なのはそこではなかった。

「景吾」

呼んでも、跡部は一向に返事をしない。

「・・・景吾」

重要なのは、跡部が応えないという点だ。
呼びかけに跡部が応じないなど、忍足にとっては有り得ないことなのだ。

「景吾・・・なぁ・・・・・・景吾?」

だから忍足は、跡部は此処にいないのだと知った。そして漸く、跡部が死んでしまったのだということを理解したのだった。

忍足は跡部から視線を外し、辺りをきょろきょろと見回す。
気が付いたのである。忍足が見知った”跡部”は、”死”というかたちでもって、”ふたつ”に分裂したのだということに。
故に、この綺麗な入れ物は”跡部”ではあるが、忍足の求める”跡部”ではないのだ。

忍足は跡部の全てを愛していた。
誰の目をも奪う綺麗な容姿に真っ先に惚れ、そしてそれ以上に美しい精神には自分の全てを捧げようとまで誓った。
今、忍足の前には空の器があるのみだ。呼べば振り返り、忍足の想いに応えてくれた”跡部”が此処にはいない。彼の想いが此処にない。
忍足は思う。きっと跡部はここを留守にしているのだと。居留守なんて使えるはずも無いのだから、そうに違いない。
そして、一体どこまで出かけたのだろうかと思案する。

「景吾・・・お前、今どこにおるん?」

数日会わないことなどざらではあったが、今は、どうしようもなく会いたかった。





  。*.・。・.*.。*・+.・。*.*・。.+.・*・+.・*・.。.



それから後、
忍足の前にだけ、跡部はしばしば現れるようになった。



ある日のこと。
忍足は、紅い薔薇の巨木に跡部の影を見つけた。忍足にはソレが跡部であると、一目見てすぐに気が付いた。
絢爛たる立ち居。
穏やかに吹く風にさえさわさわと揺れる繊細な花片は、風にそよぐ彼の細い金糸を彷彿とさせた。

「そんな所におったんか!」

姿を見るや否や、忍足はずかずかと近寄った。手を伸ばして容赦なく引っ張る。

「っ!」

しかし、跡部は鋭い棘で忍足を容赦なく傷つけてきた。
激痛に驚いて、忍足はすぐさま手を離した。そして一変して優しい声を出す。

「跡部・・・びっくりしたん?堪忍な? ・・・でもお前がずぅっと帰って来んから、オレは心配しとったんやで?」

刺された手から、じんわりと血がにじんできた。それは跡部の紅い薔薇とよく似た色だ。
自分の血を見るのは久し振りだと思った。聞き分けのないネコのように、以前はよく引っ掻かれたこともあったのだが。
忍足は懐かしいと笑いながら己の血を舐めとる。
跡部を見上げると、跡部は温かい昼の日を受けてきらきらと輝いていた。眩しげに目を細める。

「もう怒っとらんから、堪忍なぁ ・・・でも、どないしたん、跡部?」

 お花になっとるなんて、随分かわいらしいなぁ

優しく笑いかけて、忍足は再び腕を伸ばした。
そして焦がれ続けた相手を、漸くその腕に抱きしめた。




「忍足っ!!」

ばたばたと足音が近寄ってくる。

「忍足っ何やってんだよ!」
「侑士!」

岳人と宍戸だ。
うるさいと思っていると、彼らは忍足に取り縋った。

「ちょっ、お前ら何すんねんっ」

忍足は腕を掴む宍戸と岳人を振りほどこうとする。
体格で勝っているとはいえ2人を相手にするには力が足らず、抵抗も虚しく忍足はあっさりと引き離されてしまった。

「しっかりしろよ侑士っ」
「なにバカなマネしてんだよ!」
「・・・・・・」

忍足の肩をがくがくと揺さぶる。

「おい侑士!」
「しっかりしろ忍足っ」
「・・・・・・」
「・・・忍足?」
「・・・・・・」

しかしいくら声をかけられても忍足は返事をしない。
顔を覗き込むと、忍足は呆然として一点を見つめていた。目を限界にまで見開いたその顔は青ざめて、倒れなそうなほどに見えた。

「なんてことや・・・」

忍足が漸く口を開く。しかし言葉は、岳人や宍戸に向けたものではなかった。
視線をたどると、それは先ほどまで忍足が抱きついていた薔薇の木に向けられている。
引き離されまいと必死にしがみ付いたせいで、ぼろぼろと花片は乱れて地面に落ち、完璧な美しさを誇った姿は見るも無惨になってしまっていたのだ。

忍足は思った。

 コレはもう、景吾じゃない
 此処にはもう、景吾はいなくなってしまった

湧きあがってくる感情は、憤りか、悔しさか悲しさか――― ぶるぶると目に見えて体を震わせると、忍足は2人を怒鳴りつけた。

「お前らのせいやでっ!お前らが大きい声で脅かすから・・っ、びっくりしてまた逃げてもうたやないかっ!」

突然の剣幕に、岳人と宍戸は目を見張る。
こんなに剥き出しの怒りをぶつけられたのは初めてだった。それが普段は温和であまり感情を見せなかった忍足であるのだから、尚更だ。

「で・・でかい声出したのは、悪かった ・・・でも、お前、怪我してるじゃねぇかよ」

ハンカチかティッシュでもないものかとポケットを探るが、あいにく見つからない。
忍足は射殺しそうに見ていた。しかしすぐに、がっくりと項垂れる。

「・・・侑士?」
「どうした・・・忍足?」

急に勢いをなくした様子に訝しむと、

「やっと、見つけたのに・・・また、捜し直しやないか・・・  景吾」

「―――ッ」
「忍足・・っ」

岳人と宍戸はさっと顔色をなくす。

彼らが付き合っていたことは、周りには全く知らされていなかった。
とても上手に隠していたのだろう、実際に彼らが恋人同士であったのだと気が付いたのは、跡部がいなくなってからの忍足の落ち込みようを見てからだった。
かける言葉も見つからず。そして忍足もヘタな慰めや同情的な言葉を甘んじて受ける性格ではないと知っていたから、何もできずにただ見守るだけに留めていた。

しかし今更、それが間違いであったのだと気が付いても遅すぎた。
もうどうにもならない。

「侑士・・・」

忍足は疲れきったようにふらふらと歩き出す。
2人は途方に暮れて、その後ろ姿を見送るしなかった。







「景吾」

跡部を取り逃がした日から幾日経っても、跡部は相変わらず忍足の前に姿を見せる。

大空を我が物に飛び回る鳥になっていたり、恐ろしさと膨大な力を包含する稲妻になっていたり、幾億粒にも小さくなって、大地を潤す天からの雫として忍足に降り注いだり。
様々に姿を変えて現れた。
暗闇を照らす月となったときには、どこかの小僧よろしく、忍足は月に向かって手を伸ばした。
 おまえが欲しい
しかし。
欲しい欲しいと一晩中求めても、跡部は一向に忍足に応えてはくれず。日が昇るのと一緒にゆっくりと消えてしまった。
それはまるで、手が届かない忍足を嘲笑っているように感じた。

「だから、意地悪っていわれるんやで」

なかなか自分の思う通りにならない跡部に、焦れったさと切なさと、どうしようもない恋慕を覚える。
そして、自分はどうして、あの現場に居合わせることができなかったのかという後悔を。

過ぎた事をいつまでも蒸し返して己を苦しめる自虐性は持ち合わせていなかったが、こればかりは、いくら悔やんだところで悔やみきれるものではない。
(・・・あのとき、)
跡部が”ふたつ”に分裂する瞬間に立ち会っていたのなら、と。
(そうしたら、オレは―――)

跡部の精神がお出かけをする瞬間に、彼の唇を己のそれで塞いで、
口から宙に放出されようという、その、跡部の魂なるモノを、自分の口の中へと誘い込んで、

 食ってしまったのに。

お前がどこにも行かないように。







なんといいますか・・・

060224



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