ただ、願う






異常ともいえる暖かい冬が過ぎ、暦的には春であるはずの3月半ば。どうしたことか、外は今季初となる雪がちらついていた。

「平気?」

忍足は前を歩く跡部に声をかける。

「当たり前だろ」

忍足を振り返ることもなく、跡部はそっけなく返した。ちらちらと舞い落ちる雪に視線は釘付けだ。
本人が言ったわけではないけれど、そんな様を見るにつけても、跡部は四季の中で冬が一番好きに違いない。そしてそれは、酷く相応しいものに思えた。
夢見がちではないけれど、どこか跡部の周りは輝いているように見える。(もちろん口に出して言ったりはしないが)それはほら、今もそうだ。
落ちる雪の粒が僅かな光を反射してきらりと光る。それが彼のために施された演出のように感じてしまうのだ。
空気中に飛散している水滴すらも彼のもので、彼のためにあるのではないか。そう考えるようになったのはいつからだったか・・・思い出せもしないけれど。
ふと、思考を数ヶ月前の夏の日へと遡らせる。あの時もまた、自分は彼の輝きを見たのだ。

これから先テニスを続けてもテニスから離れても、忘れることはないであろう一戦であった。
勝利と敗北。そして、少しだけ引き延ばされた夏が、漸く終わった。
自分が何を思ってその瞬間を迎えたのか、正直なところ覚えてはいない。気が付いたら全てが終わっていて、静かに目を閉じる跡部の顔をぼんやりと見下ろしていた。そこは既に真昼のコートではなく、日の落ちかけた病院の一室で、自分と跡部の二人だけが取り残されていた。おそらく自分が他のメンバー達を帰したのだろう。なんとなくだが、きっとそうに違いない。記憶がないながらもそこまで行動する自分を、気味悪く思ったものだ。
意識の戻らない跡部を見つめて、早く目を覚ませと祈っていた。しかし反面、彼にかける言葉を見つけられない。こちらの心が落ち着くまで目を覚まさないでいてくれとも願った。感情が一気に溢れて、頭がおかしくなりそうだった。
早く早く、目を覚ませ。
目を覚まして、オレを見て。何でもないように笑って。
安心させてくれ。
考えては、こんな時でさえ彼に救いを求めるのかと。情けなくて吐きそうになった。
狂うかと思った。

あれから何ヶ月も経って、冬も終わって新しい春がくる。
もう過ぎたことであると聞き分けよく流すことが出来ずにいる自分は、執念深いタチなのだろうか。時間に癒されるという言葉の通りに、激しい感情は次第になりを潜めていった。その代わりとばかりに腹の底に沈んで溜まった暗い決意は、きっかけがあればすぐにでも表に噴出してくるだろう。
跡部の周りに初めての雪が降る。キラキラと光りながら、彼に纏いついて寄り添って、熱に融かされていく。
初めての雪を嬉しそうに見送る表情に、忍足はやっぱり、あの時の再現をみる。
あの夏の最後の試合に、跡部の目にはどんな光景が見えていたのだろうか。それは技を使う跡部当人にしか分からないが、確かに自分は、真夏の灼熱のコートに、ひたりと冷気が落ちるのを感じた。彼の輝きが、一層強まったのが分かった。
“氷帝”。
ただの偶然だろうとは思う。けれど彼が学園の象徴とされ、万事において帝王と称されること。甘えを許さず、時に非情ともいえる策を投じることから、“氷の帝王”―― “氷帝”と呼ばれることには、どこか因縁めいたものを感じて止まない。
同じ空間に存在しながら、忍足にとって跡部は酷く遠いものに思えた。儚いという意味ではなく、捕まえた途端にいなくなってしまう・・・そんな、雪や氷の化身に思われたのだ。
彼の笑顔を、融かしてしまいたくないと思った。それを叶えるためならば、もう手段は厭わない。だから己が強く在らねばと思った。
物理的ではない距離が、縮まったのかは解らない。しかし今、あの時と決定的に違うのは、自分が彼と同じ場所に立てているということだ。手を伸ばせばすぐに、抱き込める位置に。

「跡部ぇー・・・ なぁ、けーちゃーん」

「あん?」

呼べば気付いてくれるこの状況を嬉しく思う。

「手ぇ、握ってもいい?」
「は?」
「せやから…」

更に言い募ろうとすると、ウンザリしたように言葉を遮った。

「あー、いい。みなまで言うな」

跡部はくるりを振り向くと顔をしかめて、溜め息をはく。

「どうせお前のことだから、寒い日は手を握って温め合おう、とかクソ寒いこと言いやがるんだろう?」
 冗談じゃねぇ

「・・・・・・・・・」

なにもそこまで・・・と思ったが、反論するとますます傷つきそうなことを言われる気がしたので、忍足は敢えて言われるままにしておいた。ポケットから出しかけた手は、大人しく引っ込めることにする。
跡部は、そんな忍足の心情に気付きもしない。しかめていた顔をぱっと機嫌よく変えて、

「遠回りして帰ろうぜ」

とのたまった。

「もう今年は降らないかも知れねぇし。初モノは楽しんでおくのがいいだろう?」

いつも曲がる角をスルーして歩き出す。荷物は忍足が持ったままだ。付いてくることを信じて疑わない姿勢には苦笑いがこぼれるが、それもまた「らしい」と微笑ましく思ってしまうのは、どうしようか。
帰る所は同じであるし、暫しのデートを楽しむのも悪くない。

「せやね」

見上げた空から落ちる雪はまだ止みそうにない。積もるほどの勢いはないものの、この時期によく降ったものだと関心する。
それでは、お気の済むまでお付き合いいたしましょう、帝王様。
貴方を慕う小さな氷の粒達が、春の日に負けじと降り続いています。







いつ以来の文章か・・・書き始めたのは冒頭の通り3月半ばでしたのに。。

ちょっぺりロマンチック感(最後とか)を出てみました が、中身は重い・・
でもこの辺のことは・・
自分内での昇華(消化)の意味も兼ねて書いておこうと思っていました。

070507



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すっかり日が暮れてしまった病室で、跡部は漸く目を覚ました。
忍足はそれ以外の行動を忘れてしまったように、何時間も跡部の顔を眺めていたから、彼の目蓋がゆっくりと持ち上がる瞬間を見逃すことはなかった。

「   おはよう」

忍足の姿を目に止めると、跡部はかすれた声で言った。

「おはよう」

跡部が起きたら。そのことを延々と考えていたのに、結局忍足は何も思いつくことが出来なかった。だから、咄嗟のあいさつに反射的にも言葉を返せたのは情けないながらも有り難かった。
それは跡部の気遣いだったのか。それとも、起床のあいさつとして習慣のように出ただけのことだったのか。

「もう、暗いな」

跡部は忍足の背後に目をやって、カーテンの引いていない窓から外を見た。つられて見遣れば、昼の天気同様によく晴れた空にはたくさんの星が瞬いていた。

「長いこと、寝とったで」
「そうか」

溜息のように吐き出した。

「そんなに寝たのに、 つかれたな」

忍足が振り返ったときには、跡部は再び目を閉じていた。
気を失っているのではなく。ただの眠りに付いたのだろう、穏やかに胸が上下していた。

「―――― ッ・・・、」

嗚咽が漏れないように、忍足はきつく口を結んだ。
起きなければいいと思った。このまま冬まで、雪が降るまで目を覚まさなければいい。若しくは忍足が強くなって、彼と肩を並べ、守れるようになるまで。