月を追いかけて 2






「おい、忍足」


 名前を呼ばれて、忍足ははっと我に返った。気が付けば跡部の視線はとっくに地面からはなれて、青い双眸は忍足を見ていた。
 呆けていたとはいえ跡部を凝視していたのだから気味悪がられて文句の一つでも言われるのかと思った。しかし跡部は口元に僅かに笑みを浮かべて、どこか楽しそうですらあった。

「お前、どうしてココが閉鎖されてるか知ってるか?」
「・・・・・・いや、知らんけど。・・・なんで?」

 急に何だ?と思いながらも、忍足はゆるりと首を振った。跡部は口端を一層楽しげに引き上げた。
 そして忍足の方にずいっと身体ごと近寄ると、とっておきの話をするように耳元に唇を寄せて「実はな・・・」と声をひそめた。


「お前が来る2年前に、飛び降り自殺があったんだ」


「・・・そうなんか」

 忍足は一言返しただけだった。
 跡部の様子から一体どんな秘密を聞かされるのだろうと少なからず期待していたらしく、告げられた内容には正直しらけてしまった。その話だったら既に知っていたし、それ以前に、見も知らぬ誰かになど興味がなかったのだ。
しかし。 ”閉鎖の秘密”には食指が動かなかったが・・・それよりも、あまり人との接触を好まないだろう跡部が特に親しくもない忍足にすり寄ってきた ――と表現するに近い動作だった―― ことには僅かばかり驚いていた。同時にどこか世俗から達観した感のある跡部が、こういったゴシップを楽しそうに語るのは酷く似合わないとも思った。確かに自分の中に勝手に作り上げた”跡部像”と実際とはかなり異なると先ほど知ったばかりだったが、それでも、だ。
 跡部は自分の言葉に過去を思いだすように遠くに視線を向けた。

「その自殺した人ってのは、当時、生徒会長をしてた人だった。成績優秀でスポーツもそこそこ出来て、真面目で先生方からの信頼も厚くて――― ああ、顔もまぁまぁよかったな。女にモテた」

 眉をひそめた忍足の心中を知ってか知らずか、跡部は楽しそうに続けた。

「中等部を卒業してからは、イギリスの姉妹校に留学する進路も決まってた。あの人の家はそれなりにデカイ会社を経営しててな、仕事上で深い繋がりのある企業がロンドンにあった。将来は家を継ぐ立場にあったから、顔を売っておくと同時にそこで本格的に経済学を学ぼうって算段だ」

 この学園に通う生徒達のほとんどが、階級が上の家柄をもつ者たちだ。そういう忍足の実家も医者の家系とあって、大阪の地元では相当な名家である。
 それなりの家柄に生まれれば自由なることが大きい反面、拘束されることも多いのだ。なんでも思う通りにならないことなど、十数年生きただけでも解かるだろうに。
(恵まれた坊ちゃんの究極の我儘みたいなもんか)
 彼の境遇のどこに不満があったのかなんて、忍足には理解できなかった。

「未来が約束されとったのに、何が不満で自殺なんかしたん。イジメにあっとったわけでもないんやろ?」
「んなわけねぇだろ。逆にイジメたヤツがイジメにあうぜ。あの人にはシンパがついてたからな」
「シンパね・・」

 目の前の跡部と彼を取り巻く光景が、忍足の脳裏をよぎった。

 これが”カリスマ”というものかと―――
未だ初等部から上がったばかりの新入生だというのに。跡部景吾の一挙手一投足には視線が集まり、彼の発言一つが大きく人に影響を及ぼす、
その様はある種宗教的であって、忍足の意識に強く残っていた。

「・・・なんや。誰かさんとよう似とるなぁ」
「そうだな」

 跡部は忍足が自分を指して言っているのだと承知した上で頷いて、そして小さく笑ったようだった。
 微笑はこれまで見たことのある跡部らしい皮肉気なものとは異なっていた気がしたが、一瞬のことで、忍足が改めて跡部を見返したときには既に消えていた。

「飛んだ理由は一つだ。あの人は全てに絶望してたってことだ。こんな薄汚れた世界に生まれてきたこと、そして此処で何十年も生きなくちゃならないことにな。 あの人のウチは裕福だったが・・・まぁ裕福なウチでは結構聞く話だが、両親が不仲だった。父親は仕事仕事で家庭には無関心。仕事が終わっても帰るのは愛人の家って具合でな、年に数回しか自分のウチには帰らなかった。母親は母親で、それをいいことに家に若い男を通わせて好き勝手やってた。そんな親の姿をガキの頃から見てたら、何もかもが嫌になるのも当然だ」

 跡部はそこまで話して一息ついた。
 話しながらその”先輩”に少なからず感情移入しているのか、淡々とした語り口のわりに顰めた表情は酷く人間くさいと感じた。

「あの人は純粋な人だった。そしてあの人は孤独だった。あの人は自分を特別視するキライがあってな。自分は生まれてくる世界を間違ったんだって信じてた。そしていつかは自分の仲間がいる、自分の在るべき場所に帰るんだって思っていた」

 あの人が思い描いた故郷は、まぶしいくらいに美しい世界だった。
 嘘や欺瞞や妬み・僻みなんて醜い感情はなく、全てが真実で構成されている。
 美しい容姿に美しい心をもった、選ばれた人間だけが住まう世界だ。

「・・・なんや、それ。えらい妄想癖もったヤツやな」

 気持ち悪い。
 眉をひそめた忍足だったが、跡部はそれを当然の反応だと解かっているのか。咎めたりはせずに横目でちらりと見ただけに留めた。

「別に、特別な危険思想をもっていたわけじゃない。誰だってああだったらいいとか、こうだったらいいとか、その程度の空想はするだろう?先輩もソレと変わらねぇよ。ただちょっと、力を入れて考え過ぎた感はあったがな」
「・・・・・・・・・」

 ソレが危ないんじゃないかとは思ったが、押したりは口には出さなかった。

「あの人は、オレも同じ世界の住人だと言った。だからオレは先輩が望む世界を創る手伝いをしてた」
「は?・・・そんな話するくらい親しい仲だったん?」

 夢のような外見と反比例して、跡部の性格は悪魔だといわれていた。
 そして友達がいないわけではないのだろうが、跡部は特別親しい人間を作らないような感があった。(実際、忍足の見た限りではあるが、跡部は好んで一人でいることが多かった)
 親しくない人間のバカげた妄想に付き合うような酔狂な面が跡部にあるとは思えない。
 夢見がちな輩など、得意の毒舌でばっさり切って捨てそうに思えるのだ。
 しかし聞くと付き合いは思いのほか短かった。

「知りあったのは4年前で、あの人が飛び降りるまでの2年間だけだ」

 当時跡部は初等部3年、その先輩は中等部1年だった。
 この学園は幼稚舎から大学部まであり、生徒数がハンパじゃなく多い。そこで毎年秋に、各学年の代表生徒数人ずつが集まって交流会を開くらしい。
 そこで出逢ったのだという。

「あの人はオレを一目見て確信したらしいぜ」
「・・・同じ”世界”の人やってか?」

 跡部はこくりと頷いた。
 彼は会が始まって自由交流時間に入るやいなや、真っ直ぐに跡部に向かって歩いて来た。そして、

「『オレを見て何か感じることはないか?』って開口一番聞いてきた」
「一歩間違えば危ない人やな」
「オレも思った。だから『病院に行くべきだと感じます』って返してやった」
「! ほんまか!」

 噴出。
 正直にもほどがある。
 小学生とはいえイイトコのお坊ちゃんであれば、年上の人への対応や場をうまくやり過ごす術など会得済みだろうに。しかも舞台は学園の”交流会”だ。迂闊な発言が親の会社の外交にどう影響するか知れない。”跡部財団”という屈指の資産家の御曹司であるというバックがあるからかもしれないが、それでも正直に返すとはなかなかキモが座ったお子様だったようだ。

「・・・お前、実はオモロイやっちゃなぁ」
「あん?バカにしてんのか」
「や、オレ的に最上級のほめ言葉なんやけど」
「オレは嬉しくねぇ」

 素直に嫌そうな顔をする跡部に対して、忍足は楽しくなってきた。
 興味のなかった話題にも付き合ってみようかという気さえしてきた。
(・・・あぁ、そうか)
 もしかしたら。
 2年前の跡部も、その”先輩”とやらにこんな風に興味をもったのかも知れないと思った。










・・・・・・時間があき過ぎてしまって、思い起こすのが大変です・・

051030



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