|
蒼の香り
跡部の家(宮殿と呼ぶのがふさわしいだろうか)には、多くの絵画がある。 それらは当然とでもいうべきか、全てが誰でも知っているような著名な画家によって描かれたものだ。そして、その価値に見合うような立派な額に収められて、どこまでも続く長い廊下に一定の間隔で配置されていたり、部屋の雰囲気に合わせて品よく飾られていたりしている。 さして絵心のあるオレではないのだが、オレはそれらを眺めて歩くのが割りと好きだったりする。 (モネ シャガール ドガ ミレー ルノアール ・・・) 跡部の後について巻貝のような階段を上がりながら、オレはいつも壁に掛けられた絵画に目を向ける。けれどそれらに視線を投げながらも、心は急いて足は先へ先へと進む。確かにどれも素晴らしいとは思うし、実際、初めてこの家を訪れた時は、早く来いと急かす跡部をよそにじっと見入ってしまったほどだった。だが、しかし。もうオレが本当に見たいと思うものは、これらではなかった。視線を逸らせないほどに惹き付けられて心奪われたのは、ここにある数多の作品達の中でもたった一枚きりだった。 それは階段を上りきり、跡部の自室へと向かう廊下のつき当たりに、ひっそりと掛けられている。とはいっても、世界的に有名な画家の代表作であるには違わないのだが。 初めてその絵を見た瞬間、オレは動けなくなった。 またかよ、と呆れた溜息をついた跡部は、オレをおいてさっさと自室に入ってしまったのだけれど。しかしオレは、さっきまでのような興味半分珍しさ半分といった軽い気持ちで足を止めたわけではなかったのだ。 美術の教科書などで何度も見たことがあり、授業でその絵が描かれた背景も習ったことがあったのだが。しかし、実物から受ける衝撃というものは大きかった。 人には解かるまいと思いつつ、しかし誰かに気付いて欲しい―― 心に秘めた悲哀・憂愁という類の深い感情が、凝縮され、一枚の絵画として具現化されたかのようだった。 その絵を前に、オレは心が絞られるような感覚を味わった。 それは、オレが画家の思いにシンクロしたからでは断じてなくて。おそらく、きっと、その絵を象徴的に彩る”青色”に反応したからだった。 (クリムト、モロー・・ルドン・・・) 19世紀末期、印象主義を代表する画家達は、この絵にも使われているような”青”を多用した。青色とは、人の内面に潜む悲哀の感情を表すのに最もふさわしい色だったのだ。 プルシャン・ブルー 単独で厚く塗り重ねると暗く黒味を帯びたものになり、薄くのばすように塗ると美しく鮮やかな青となる、この色。 闇のような”青”、目の覚めるような”青”――― しかしそれらは、一本の同じチューブから生まれたものなのだ。ただ、処理によって別物のように見えてしまうだけで。 これが、オレの心の中にずっと燻っていた疑問に明確な解を与えてくれた。 そしてオレは無意識に、その絵に腕を伸ばしていた。 指先に触れたのは無機質でひんやりとした額縁のガラス板であったのだが、オレはそのガラス越しに乾いた油の匂いが上ってきたような気がしていた。 「お前、本当にあの絵が好きだよな」 跡部の部屋を訪れる度に必ずあの絵の前で立ち止まるオレに、跡部が呆れ顔で言った。 「いや、好きっちゅうわけやないんやけど・・」 「好きじゃねぇのに、毎度見惚れてんのか?」 どうして惹き付けられるか、その理由は跡部に言ったところで解からないだろうと思った。それに言ったら言ったで、プライドが高く人に弱みを見せる事を極端に嫌う跡部のこと、激昂するのは必至だろう。 「いやいや、見惚れてるっちゅーかな・・・」 曖昧な返答をしつつ、オレは跡部にゆっくりと近づいた。跡部が間近でオレを見上げる。 「跡部は、ええ匂いすんねんな」 「・・・はぁ?」 文脈の繋がっていないオレの言葉に、跡部は間の抜けた声を出した。 「間違っても、油臭くはあらへんな」 小さく笑いながら跡部の目尻に唇を寄せて呟くと、跡部が怪訝な顔をする。真意を探るようにすっと細まった双眸は、美しい色と輝きを帯びている。 「オレな、明るいトコで・・・太陽の下でテニスやっとる時の、そん時のお前の目が、一番好きや」 日の光に透けて、空よりも綺麗な青い色になるんやで。 「・・・なんだ、そりゃ」 跡部は心底ワケが解からないという顔をしつつも、少しだけ気分を良くしたようだ。 そんな跡部の様子にオレは満足げに笑って、目元にキスを落とした。 今のこの青に、陰鬱な影はもう無い。 |
|
プルシャン・ブルーの説明は、藤原ちよみさんの『wish』を参考にさせてもらいました。 羅列した画家達は・・自分の思い付く範囲で書き出したので、あんまり深く考えないで欲しいです・・ 忍足が見た絵は、一応ピカソということで・・青の時代のものということで。 ええと今回は ラブ感 を出せよかったです。(凄く自分的です・・) そして忍足のヘタレ脱出を目指してみました、が・ 050213 |